2011/04/18

ラフィアン入会のきっかけ

ラフィアン入会のきっかけを今振り返ってみると、一つのレースだったように思える。それは1999年の皐月賞。テイエムオペラオーが勝ったレースである。ラフィアン馬はマイネルタンゴ、マイネルシアター、マイネルプラチナムの3頭が出走していた。それぞれ4,5,9着と検討した。ちなみにそれぞれ14,11,3番人気で人気とは逆の着順となっていた。勝てはしなかったが、この結果に当時の自分は、素直にすげー!と感嘆したものだ。もちろん、このレース以前にも、マイネルマックスとマイネルラヴのG1制覇の活躍も影響していることは間違いないが、この皐月賞がラフィアンへの興味を一層引き立てたレースとなった。自分の愛馬以外のラフィアン馬のレースとしては未だに一番印象に残っているレースかもしれない。

皐月賞に出走した3頭の中で、特に印象的だったのが4着に粘ったマイネルタンゴ。父はファストトパーズという昔のラフィアンらしいマイナー血統。募集価格は1600万。5月5日生まれだから端午(の節句)という名前らしい。私は皐月賞でマイネルタンゴの走りにひかれ、それから追っかけるようになった。タンゴは次のNHKマイルCでも5着となり、ダービーは連戦の疲れか距離が長いのか14着に沈んだ。しかし、この世代では唯一、春のG1の3戦をタフに走りきった。きっかけのレースが皐月賞なら、きっかけとなった一番の馬はマイネルタンゴということになるかもしれない。

タンゴはその後、七夕賞で2着するなど活躍したが残念ながら重賞制覇まではできなかった。31戦4勝で引退。引退後は静岡の方で乗馬となっているらしい。血統いい戦歴といい、いかにもラフィアンらしい活躍馬だった。

あの皐月賞から早12年。競馬界、競馬を取り巻く状況はあの時とは大分変わっている。周りが変わるからラフィアンもまた変わらなければいけない。募集馬には自家生産馬が増え、マイネルタンゴのようなマイナー血統の募集はかなり減った。寂しいことだが理解はしている。

一口馬主としての夢はG1制覇!だが、その前として出走だ。今年はショコラーデが桜花賞に出走して一つ目標を達成してくれたが、タンゴのように牡馬のクラシック戦線をタフに走り抜ける馬にもそのうち巡りあってみたいものだ。

0 件のコメント:

コメントを投稿